舞台写真家【廣津孝平、】やったもん勝ちドイツ日記

音楽留学からカメラマンに転向したドイツ・ベルリン在住の舞台写真家【廣津孝平、】のBlog。ヨーロッパ中のオペラやコンサート撮影、カメラマンとして日々思っていること、写真のことや趣味のソフトボール、我が家の猫たち、バイクのことなどツラツラ綴ります。

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18年前の今日 【色褪せない記憶】

 18年前の今日、1992年7月27日未明。僕の大好きだった祖父が亡くなった。

 日本時間の今頃は、祖父の家で、僕は葬儀の準備する祖母や母親や親戚が忙しそうに動いているのを見ているしかなかった。

 目の前にはいつもと変わらぬ表情で眠っている祖父がいた。

 
 祖父が亡くなる前日、親戚一同が祖父の病室に集まった。もう祖父の意識は殆ど無く、ベットの上で身動き一つせず、苦しそうに呼吸をしている。


 
 その2週間ほど前の7月11日土曜日、僕は一人で祖父のお見舞いに行った。リトルリーグの練習を休んで、どうしても祖父に会いたかった。学校が終わって、走って家に帰り、ランドセルを置いて、お小遣いから電車代を握り締め、駅に向かった。   

 
 八戸が暑くなり始めた頃だった。駅から病院へは子供の足では20分以上歩く上に、坂道を登らなくてはならなかった。歩きながら汗が噴き出してくるのがわかった。だんだん病院が見えてきて、最後は走って病院にたどり着いた。

 
 病院の中はあの独特な匂いがした。以前母から教えてもらっていた祖父の病室の番号。確か712号だったと思う。エレベーターで7階に登って、入院患者や看護婦が行きかうあのクリーム色の廊下を、僕は祖父の部屋を探して歩いた。


 祖父は部屋にいた。ベットの上で退屈そうにしていた。突然の僕の訪問に驚いた様子だったが、祖父はいつもと変わらぬ口調で、僕を部屋に招きいれてくれた。

 『おじいちゃん、思ったより元気そうだね』
  
 『おじいちゃんな、すい臓が悪いんだって。医者がそう言ってた。』

 『すい臓?』

 『うん、でもちょっとしたらすぐに退院できるよ。』


 そんな会話をした後、僕は夏休みにやりたいことの話、自由研究の題材なんかを祖父と話した。1時間半程滞在して、僕は病室を後にした。

 家に帰って、母にお見舞いに言ってきたことを伝えたら、母は驚いていた。後日祖母から聞いた話では、僕が帰った後に見舞いに行った祖母は、祖父から僕が来たことを聞いたらしく、他の入院患者や先生に『孫が一人で見舞いに来てくれた』と、嬉しそうに語っていたそうだ。
 

 しかし7月11日は、僕が祖父と会話した、最後の日になってしまった。


 
 7月26日お昼過ぎに、親戚一同が祖父の部屋に集まった。東京から叔母も来た。でも僕と姉、従兄弟の子供達3人は祖父母の家に帰ることになった。母から、


 『今晩はみんなでここで留守番してて。おかあさんもおばあちゃんも病院にいなきゃいけないから。』

 そう言われて、僕らはリビングに布団を敷いて、夜を迎えた。でも3人とも寝付けず、そのまま話をしながら起きていた。

 その時、玄関が開く音が聞こえた。誰かが帰ってきた。廊下を歩く足音は、まっすぐ僕らのいるリビングに向かってくる。ドアが開いた。そこに立っていたのは、昔祖父母の家で働いていたおばさん。

 『おじいちゃん、亡くなったからね。』

 そう一言言うと、叔母さんは客間の掃除を始め、布団を出し始めた。おばさんは客間、祖母の部屋、仏間の襖をすべて外し、一つの大きな空間を作り上げた。仏間から見れば、奥にある客間の真ん中に用意された、布団が一式あるだけの不思議な空間。

 僕にはこの空間が異様に思えた。祖父が亡くなった事実。信じたくない事実が、こうやって肯定されていくんだと実感していた。そしてその直後、一台のバンが家の前に止った。


 祖父が帰ってきた。無言で。自分で歩くことなく、二人の男に運ばれて。

 その後に、祖母や母や叔父叔母も玄関に入ってきた。  

 祖父はそのまま客間に用意された布団に寝かされた。僕はその一部始終を、黙って見ているしかなかった。目の前にいるのは紛れも無く大好きな祖父。でも一つだけ違うことは、【もう死んでる】という事。僕は初めて、【人の死】で涙を流した。
  
 家には親戚だけになった。僕はそのままリビングに戻って眠った。
 
 『目が覚めたら、これは夢だったらいいな』と期待し、朝を起きてすぐに仏間から入り、奥の客間に眠っている祖父を見て、僕は落胆した。

 『やっぱりおじいちゃんは死んじゃったんだ。』

 こうして、【祖父の死】というのが僕の中で変わらぬ事実となった。

 東京から叔母が帰ってきた。祖父の顔を触って『冷たい』と驚きの声をあげたこと。もう一人の叔母は、『最後にお父さんと一緒に寝る』と、一晩祖父の眠る部屋で眠った。

 そしてお通夜があり、火葬があり、葬儀が終わった。


 早いものであれから18年経ちました。未だに色褪せることのない、18年前の記憶。今日この場を持って【記録】させて頂きました。


長い文章を読んでいただいてありがとうございました。

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